創造性が大事、とはいいますが・・・

おはようございます、今日はスイカの日です。
以前、庭に種をまいたら育ったなぁ・・・小さい内にアリが食べてしまいましたが。

物流等と新しい技術の流れについてお話をしています。
人工知能や統計学による成果は、飛躍的に高まり続けています。

このような論法において話を進める中で、よく「これからは創造性を発揮できる人間でないと生き残れない」という話が出てきます。
確かに人工知能や統計学をどれだけ駆使しても、本当の意味で芸術や武術の世界を表現することはできないように思います。
そういった人工知能が苦手とする創造性、創発性を発揮することがこれからの社会を生き残るためには必要不可欠だ!という論法は、ある程度納得ができます。

ただ、ここで問題となるのは、その創造性というものに対する理解です。
これまたガッカリな話ではあるのですが・・・
既に人工知能により、絵を描画することは可能です。
何かのモチーフと作風を指定すれば、人工知能が過去に描かれた大量の作品群からその特徴を抜き出し、それっぽいものに仕上げてくれるのです。

作曲や編曲についてもほぼ同様です。
すでに「売れる音楽の方程式」というのはある程度みつかっており、調性やリズム、それにウケる歌詞まで含めて人工知能に任せてボタン一つで作れるようになるには、それほど時間を要さないでしょう。

つまり、一口に創造性といっても、それを作品や結果の側からのみ理解しようとすると、すでに人工知能によってその領域は支配されているのではないか?という結論に達してしまいます。

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数字や勝敗がはっきりしているもの

おはようございます、今日は四谷怪談の初演日だとか。
怪談噺以上に怖いのは、生々しい人間の欲だよなぁ・・・

物流等と新しい技術の流れについてお話をしています。
武芸から学ぶ世界観と人工知能との関係について。

既にご存じの方もいらっしゃるかと思いますが・・・
一般的な意味でマーケティングや営業といった分野での成績(数字)を比較した場合、熟達した人間の技能は人工知能(統計学)に対して既に勝てない、という事例が増えています。

例えば売上を伸ばすことができる商品陳列について、ベテランのマーケターとデータを活用した統計的対応を比較すると、統計の方が優れた成績を出すことがわかってきています。
これまでまことしやかに語られていた「こうすれば売れる!!」といったテクニックの多くが実は眉唾で、実際にはデータを大量に集めて統計的に結論を決めてしまった方が結果が出せる、という何とも物悲しい話です。

ゼロかイチかの結果が重要という意味では、将棋や囲碁と行ったゲームで人工知能が飛躍的に能力を伸ばしていることも象徴的です。
「勝敗がはっきりしているもの」に関していえば、既に人間は人工知能を上回ることが難しい状況にまで追い込まれているように思います。
将棋や囲碁のような分野であればプロ棋士の存在意義は守られていますが・・・マーケターに関していえば、より数字が出せる人工知能へと置き換えられてしまうのは自明でもあります。

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創造性とは何か?

おはようございます、今日はかき氷の日です。
きちんとしたかき氷が食べたい・・・(良い氷を使ったふわふわのアレ)

物流等と新しい技術の流れについてお話をしています。
武芸というツールを通じて、何を学んでいくのかについて簡単に触れました。

特に東洋系の武術に関しては、その背景として広大な思想哲学を有していることが珍しくありません。
中国武術は当然のように東洋医学を前提としていますし、また老荘思想と言った哲学体系も組み込まれています。
つまり、武術を通じて世界の読み解き方を学ぶわけです。

そしてその行為は結局、自己認識を深めていくことでもあります。
私がどのようにあり、どのように世界を認識し、どのように世界に働きかけるのか。
究極に個人的な行為であり、それが世界ともつながる。

よくある表現として「全は個、個は全」といった文言があります。
また太極図と呼ばれるものも有名です(白と黒が丸くなってクルクルしているアレ)。
色々と解釈が分かれるところではありますが、学問や科学というものが現代よりも遥かにシンプルで、かつ壮大な構造を有していたからこそ、これらの文言や図案は本当に意味で活用されていたのではないかな?と考えています。

そして、話が大分壮大になってきましたが、ここで改めて人工知能との共存に戻ります。
創造性とはなんだろう?という問について。

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型稽古の意味

おはようございます、今日はアナログ放送終了日です。
アレ、もう6年前か・・・

物流等と新しい技術の流れについてお話をしています。
音楽を通じた自己認識の探求について簡単に触れました。

武術側でも一つの例を取り上げてみます。
型稽古と呼ばれるものがあります。
表面的には「定められた手順に従って身体を操作し、所定の形にまとまっていく」というように思えます。

もちろん、実際にそのような方向性での型稽古もありますし、手順を覚えるまでの間は「まずは動きを覚えましょう」ということも大切です。
ただし、本来の機能はその先にあります。
それは

・定められた型に入っていくことで生じる自分自身の変化を感じること

この姿勢がないと、型稽古は本当にその形を守るだけの作業になってしまいます。
先人は「その型に入り込むことで、自分の身心を上手に感じ取り、実際に使えるような状態や情動を学んでいくこと」を型稽古に込めて、その動きを定めています。
つまり、その視点がなく、単に決まった動きをするような体操のように稽古を積んでしまうと、むしろ自分自身をないがしろにするための悪習へと成り下がってしまいます。

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武芸と自己認識

おはようございます、今日は米騒動の日です。
99年前の出来事、今になって食品高騰と相対的貧困など、色々関係するお話です。

物流等と新しい技術の流れについてお話をしています。
音楽が世界と宇宙を学ぶための学問であったことを取り上げました。

音楽をはじめとした芸術、それに武術も含めて構わないと思いますが・・・
これら武芸は、それに触れることを通じて自己認識を深めていく、ということも求められています。

例えば歌を歌うとき、自分の身心には様々な変化が生じます。
その状態変化に鈍感では良い歌は歌えません。
また、自分の状態についてある種の集注や気配りを講じることで、結果的に演奏が良い方向に向かうということもあります。
演奏から変化、変化から演奏、この移り変わりは常に起こっており、そのことを循環的に感じ続けることで自己認識が深まっていくと共に、表出する演奏もレベルが上っていく、ということが本当に大切です。

実は、この自分自身に起こる変化を全て無視して、表面的な演奏技術を高めることも可能ではあります。
しかし、その方向性で音楽を求めていくと、結果的には自分自身をないがしろにすることを意味します。
短期的には「良い演奏家」になれるかもしれませんが、長期的視座に立つと、あまり好ましい傾向とは言い難いように思います。

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